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将棋の話から始めます。
2012年1月、米長邦雄永世棋聖がコンピュータ将棋ソフト「ボンクラーズ」と対局しました。第1回将棋電王戦です。米長さんは当時68歳、日本将棋連盟の会長で、現役はとうに退いていました。プロ棋士がソフトと公の場で真剣勝負をすること自体、まだ珍しかった頃の話です。
この対局で、米長さんはひとつ注文をつけています。ボンクラーズの駒を盤の上で動かす役を、自分に選ばせてほしい、と。
ソフトの指し手は、対局室の隅のパソコンに表示されます。向かいに座る人は、それを見て駒を動かすだけです。勝負にはまったく関係がない。それなのに米長さんは、この役を誰にやらせるかにこだわりました。著書『われ敗れたり』には、その条件が書いてあります。
1.将棋が強いこと。
2.自分と同じくらい対局に真剣になれること。
3.目障りにならず、こちらの気を散らさないこと。
4.それから、自分を尊敬していること。
この4つです。
選ばれたのは弟子の中村太地五段(当時)でした。
勝負は生身のものだ、ということなのでしょう。呼吸や間合いも含めて将棋なのだ、と。向かいにいるのが機械だけでは、その気になれない。自分と同じくらい強くて、自分と同じくらい集中している人間が目の前に座っていないと、こちらも集中できない。だから弟子を座らせた。理屈としてはそういうことになります。
米長さんはこの対局のために高性能のパソコンを買い、ボンクラーズを入れてもらって、何局も練習を重ねたそうです。後手の2手目に玉を動かすという奇策まで用意していました。それでも113手で負けました。この年の暮れに、米長さんは亡くなっています。
私がこの話を思い出すのは、勝ち負けのところではありません。ソフトのほうが強いことは本人もわかっていた。それでも自分の力を出し切るには、向かいに人が要った。そこです。
私たちの業界に話を移します。
編集ライティングの仕事は、ざっくり言えば、企画を立てて、取材して、素材をもとに書いて、編集して、校正・校閲する、という流れです。このうち取材を除いた4つについては、AIがもう相当によい仕事をします。企画の切り口は何案でも出てくるし、取材メモを渡せば構成が組み上がる。文章は読みやすく整えてくれるし、表記のゆれや事実関係の食い違いも拾ってくれる。以前なら数日かかっていたものが、数分でたたき台になる。これはもう、実感として否定しようがありません。
だから当然、こういう問いが出てきます。どの領域が、どんな形で、最後まで人の手に残るのか。同業者と会えば、最近はだいたいこの話になります。
私は、その一つが取材ではないかと思っています。ただし、「AIには質問ができないから」ではありません。むしろ逆で、質問はもうAIのほうがうまい。
これは認めたほうがいいと思うのですが、AIの質問する力は、すでにかなりのものです。
話の流れを踏まえて深掘りする。前に言ったことと矛盾していれば、角を立てずに指摘する。抜けている観点を補う。相手の専門領域にも臆せずついていく。疲れないし、遠慮もしない。試しに取材前の質問案をAIに作らせてみると、自分で用意したものより筋がいい、ということが普通に起きます。しかもこれは、これからもっと強くなる。
それでも取材には人が要る、と私が考えるのは、取材が「質問を投げて答えを回収する作業」ではないからです。誰かが誰かの話を聞く。誰かが誰かに話を聞かれる。その関係のなかで、話している本人もまだ知らなかった言葉が出てくる。それが取材です。米長さんにとっての「向かいに座る弟子」は、取材でいえば、目の前で話を聞いている人にあたります。
すべての取材に人が要る、とまでは思いません。事実の確認や、すでに言葉になっている考えを整理するくらいなら、AI相手で十分でしょう。気兼ねがないぶん話しやすい、という人もいるはずです。
問題は、その先です。経営者がまだ一度も言葉にしたことのない、ある決断の本当の理由。研究者が、自分でもうまく説明できずにいる問いの核心。職人が体で覚えていて、言葉にしたことのない判断の基準。こういうものを引き出す取材では、話し手のほうにも相当な集中が要ります。言葉を探して黙り込む時間が、何度もあります。
その集中を支えているのが、目の前にそれなりの人間がいて、本気で聞いている、という状態なのだと思います。この人に生半可な答えを返しても通じない。この人なら、ここまで話しても受け止めてくれる。そう感じたとき、人はもう一段深いところまで自分の考えを掘りにいきます。
米長さんが弟子に求めた4つの条件は、そっくりそのまま取材者に求められる条件でもあります。テーマを理解して、話を受け止められるだけの力があること。話し手と同じくらい真剣であること。話の邪魔をしないこと。相手に敬意をもっていること。
極端な話、質問そのものはAIが用意したっていいのかもしれません。指し手を決めていたのはボンクラーズで、駒を動かしていたのは中村五段だったのと同じです。それでも、盤の向かいに座る人間は要る。取材者の仕事は、よい質問をすることだけではなくて、話し手が本気で考えるための相手として、そこに座っていることそのものなのだと思います。
企画、執筆、編集、校正・校閲。このあたりは、AIとの分業がこれからも進むでしょう。私たちもそうしています。
一方で、誰かの前に座って、本気で話を聞くこと。話し手がいちばん難しい言葉にたどり着くまで、その場にいること。これはAIに委ねるのが最後になる領域の一つではないか、というのが、いまの私の見立てです。
質問の技術でAIに勝ち続ける必要はありません。問われるのは、話し手が「この人になら話せる」「この人には本気で答えたい」と思える相手かどうか。取材者に求められるものは、だんだんそこに絞られていくのだろうと思います。
米長さんの4つの条件を、取材に出かけるたびに思い出します。自分たちはそれを満たせているだろうか、と。
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